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この夏、映画『桐嶋、部活やめるってよ』を観た。
人に勧められて、という消極的な動機だったものの、ほかの多数の人たちと同じように、あの映画の持つちからにやられ、徹底的にハマった。 高校時代という 鬱屈し 卑屈で 劣等感が強く それでいて自己顕示欲は強く 自意識過剰で 青臭く 不満でとても無任所で それでいて体と欲望だけは大人顔負けで 自分を持て余していた時代。 「青春を、美しいなどとは誰にも言わせない」と誰かが言っていたけれど、 まさに自分の高校時代は、未熟さと、不満や鬱屈や自己嫌悪が膨れあがった季節だった。 だからこそ、『桐嶋、…』で描かれるリアルな高校生活が、切実に迫り、いたたまれなくし、胸を熱くさせた。 あそこにいる映画部の神山は、高校3年で市内の映画研究会に入った自分だ。 帰宅部の彼は、下宿に移ったときの自分だ。 そして、野球部の3年の彼は、剣道部で同学年 最後はたった一人だった自分だ。 登場人物たちは、学園の狭いヒエラルキーに汲々としながら、それでも自分自身を持て余し、振り回されている。 誰しもが不満で、誰しもが頼りない。学年のトップグループにいる男女でさえ。 それが「高校時代」だとしたら、まさしくあの映画は、その空気感までまるごと描いた、青春映画の傑作なのだ。 そして思い出したのが、当時、高校生時代に、つよいつよい憧憬で読んでいた 内田善美の『空の色ににている』だった。 内田善美は、その精密画のような美意識あふれるコマ絵と、 ときに、美しく、ときにロマンチックで、ときに幻想的な作風で、80年代の漫画ファンを熱狂させた。 『空の色ににている』のあと、 不思議でロマンあふれた美しい、大学生と人形の不思議な暮らしの物語『草迷宮・草空間』 そして、リアルでありながら、美に徹し、幻想と切なさと暖かさを同時に内包した結晶世界のような 『星の時計のLiddell』を描き、 唐突に、 絶筆した。 その完成度の高さから、今でも熱狂的なファンが多いが、本人と連絡がとれないため、1ページ1ページが絵画のようなその漫画は、オークションで高値を読んでいるらしい。 名著『消えたマンガ家』のラストで大泉実成は、ようやくたどり着いた彼女の家の部屋の明かりを見、そのままあとにした、という。 それほど、クリエーターたちにも思い入れ深くリスペクトされている彼女の『空の色ににている』。 それまでの漫画的なコマ絵の描き方から脱して、彼女の美意識がこれでもか、と叩き付けられた、 ”高校生が主人公”の作品なのである。 この作品の中の登場人物たちは、一概に、 穏やかで、 一人であることを恐れず、 自分を屹立させながら進み、 そして、美しく、強い。 まさに高校時代にこの作品を読んだ自分は、 そこに描かれてる高校生たちの、神のような輝きと、美しさと、強さを見て 現実の自分とあまりにも遠いその姿に、 ただただ、驚愕し、 逆に、 つよく惹かれていた。 実際、あそこに描かれているのは、内田善美による、青春の神々の神話なのだ、と今になってようやく思えるようになったけれど 当時の自分には、美術品や日月のように眩しく、輝かしい姿だったのだ。 同じ高校生を描きながら 『桐嶋、部活やめるってよ』は現実のリアルな高校生を描き、 『空の色ににている』は、理想的な、孤独で美しい高校生たちを描いた。 当時の実際の自分の高校時代に比べ、 一方は、なんと、近く、 もう一方は、なんと、遠い話だろう。 ただ、その二つに共通するものがあるとすると、 それは、”ほんもの”の物語が持つ力によって、 我々の意識が強烈に自覚させられ、ゆさぶられることだ。 ちなみに、 つい先日、函館で、高校の同期会があった。 30年ぶりに集まった同期生たちは、みな一様に、しっかりおじさんになっていた。 それでも、顔を合わせた途端、全員が見事に、一瞬で、高校生の頃に気持ちが戻っていた。 そこで知ったのは、 それぞれがひとしく未熟な高校生だったこと。 鬱屈や、自意識を持て余し、狭い「高校」にがんじがらめにになりながら過ごし、 その後、それぞれが懸命に生きてきた、証しとしての今の自分たちの姿だった。 ”世間"や"社会"というものがどれだけ、厳しく、そして自由か。 あの頃の自分に教えてやりたい、とつよくつよく思った。 その集まりの中で、高校三年生時代の担任に会う。 「お前、途中で寮を出やがって。心配したんだぞ〜」 握手しながら告げてくれた声に、 あの頃の、これからどうなるかわからず心底心細かった気持ちや、 寂しさや、憤懣や持って行き場のない気持ちが、 ドッと一気に蘇ってきて 私は、声を出して泣いた。 ”生きてりゃ、いいことだってあるんだからさ。 高校だけが世界じゃないんだよ” 当時の自分の肩をつよく抱いて、励ましてやりたくなった。 そんな体験と、『桐嶋…』と『空の色に似ている』が不思議と和合する。 自分の高校時代と、近くて、遠い2つのお話。 高校時代というのは、まさに、そういう混沌の時代なのかもしれない。
by TOMOiwsk
| 2012-09-25 18:37
| 映画・舞台
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